48年の時を経て~「人の縁」

あきつフルール

2020年05月24日 19:15

今日はとても「佳い日」と
友が教えてくれました。

実際、私にも このタイミングで~
この日を意識して選んだわけではないのだけど、
というようなことがありました。

修善寺の花屋「あきつフルール」の
秋津ゆきみ です。

今日は「胸の痞え」がおりた思いでした。

長文ですがお読みいただけると
嬉しいです。




私は熱海で生まれ熱海で育ち、
父は和食の職人で
私が小学校1年になる時、
独立して店を持ちました。

父が修業時代を共にしていた
Aさんが よく店に手伝いに来てくれていた姿を
ぼんやりと覚えています。

それ以前、私がまだ2歳か3歳くらい。
熱海の豪雨の時
私の家は坂の下の方にあり
川にも近くて氾濫の危険がある、ということで
避難することになりました。
その時、肩車をして逃げてくれたのがAさんでした。
勿論、記憶は無く
その後に父母から聞いたわけですが。

私が小学校低学年で
店から近くの甘味処に連れていってくれた時の
写真がまだ実家にあるはずです。

そんなAさんが
「胃がんで亡くなった」と聞いたのは
小学校6年か中学校1年の頃だと思います。

その時は まだまだ子どもの感覚で
「ずいぶん若くして亡くなってしまったんだ」ぐらいの
意識しかなかったように思います。

40年以上がが経ち、
母が逝き 続けて父が逝った後
折にふれ思いだすようになりました。

「遠い記憶」です。
Aさんは、修善寺の出身だったことを
鮮明に思いだしました。

そしてAさんの苗字は正しく修善寺のある地域に
多い名前です。

Aさんの「お墓」探しが始まりました。
お客様でその地域の方がいらっしゃれば
事あるごとに尋ねました。
ご寺院にも尋ねました。

でも手掛かりは掴めず、
もう 諦めたような形になっていました。

それが・・・・
急転直下、やはりその地区のお客様に何気なく
お話しすると「答」を持ってきてくださいました。
同じ地域の方が記憶にある~と

分っていることは、
修善寺出身で35歳ぐらいで亡くなっていて
職業は板前さんで
苗字はAさん。

そして今日、
お墓に案内していただき
お墓参りを無事に済ませることができました。

亡くなったのは昭和46年でした。
苗字だけでなく下のお名前も知りました。
熱海を離れた後の生活も少しですが
知ることができました。

35歳という若さで亡くなったAさん。

きっと私のことなど記憶にないと思うけど、
両親の名前を言えば、思いだしてくれるだろう。
私は眠っている魂に
「来たよ。ありがとうございました。」
それだけで充分でした。
自己満足かもしれませんが。


亡くなって48年後に
まさか~と思うでしょうが、
私が修善寺という土地に嫁いだという
ご縁が色々繋げてくれている~という
不思議さを感じています。

両親の仏前に報告しないといけませんね。

そして この土地に来て
色々な方に支えられて生きていることに
本当に感謝です。

人は 自分で生きているような顔をしているけど
本当は生かされていて
自分のお役目はきっと決まっていて
その方向に何故だかわからないけど
導かれているのだなあ~と
痛切に感じました。

「人の縁」・・・・
不思議ですね。

「佳い日」でしたが
色々思い出して、
悲しい涙ではないですが、
ちょっと泣いてしまいました。

最後までお読みいただいて
ありがとうございます。感謝です。

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