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あきつフルール
あきつフルール
伊豆修善寺の「花や あきつフルール」の女将です。
花の話題や 日々の徒然、地元伊豆市の話 夕飯の箸休めメニューから 趣味のことなど
気ままに 書いています。
認定花シェルジュ・カラーアドバイザー・カラーセラピー・色彩インストラクター
自分史エッセイ「女人生の咲かせ方」出版
好きな作家:小池真理子氏
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2017年08月29日

「女塚史跡公園」付近への配達~

伊豆の国市 田中山

この史跡の名前は知っていました。
「おんなづか」


「女塚史跡公園」付近への配達~

でも、 このような由来があることを知りませんでした。

いつも はなちゃんブログをお読みいただいて
ありがとうございます。

今回は
知らなかった!

「女塚史跡」について~です。

皆さんご存知でしたか~?

女塚の碑由来概説

平治の乱に平家に敗れた源頼朝は捕らわれ、十四歳で伊豆蛭ケ小島に配流となりました。

頼朝二十六歳の頃伊東祐親は庄内に小館を構え、頼朝を住まわせ「北の小御所」と呼びました。

治承四年二月頃、京の大番役を終え帰館した祐親は、頼朝と四女八重姫との間に三歳になった千鶴丸がいることを知ります。

激怒した祐親は頼朝を北条時政の館 に走らせ、八重姫を一室に閉じこめ、千鶴丸は轟ケ淵に沈めたと伝えます。

だが平家の処刑の残酷さを知っていた祐親は密かに千鶴丸を甲斐源氏にのがし、

成人 して後に島津の始祖忠久となったと言います。(伊東まで氏著「八重姫千鶴丸考」)

姫は七月十六日早朝、館をぬけ、六人の侍女と共に北条館へ急ぎました。

然し頼朝と政子の結ばれていることを知り、驚きと悲しみに真珠ケ淵(現在の古川)の激流に身を沈めてしまいました。

侍女達は姫の遺髪を胸に月光のもと、大仁田中山の松の根方で自害したと言います。

里人は碑を建て供養し「女塚」と呼びました。約八百年前のことです。

先年伊東まで氏は現地を調査し供養塔を建立、

賛同した大仁田中山及び近郷の人々により昭和四十九年二月「女塚」の碑がここに再建されました。

                           <伊豆の国市HPより>





田中山の樹の元で自害???
って、ここまで 歩いてきたの???

歴史って「何故?」「本当?」「不思議?」が
多いね。

だからこそ「歴史ロマン」なんですよね。

配達も無事終わり、
来た道とルートを変え 気分転換しよう!
と考えたのが間違いの元。

道に迷い、ガソリンもエンプティが出て~(汗)

焦りまくり~~~

なんとか 山道を下って、ナイスなメイン道路に出て、事なきを得ました。

<今日の教訓>
配達中に息抜きをしたいとき~は
山奥に入る前に、ガソリンは満タンにしよう!



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Posted by あきつフルール at 22:41│Comments(0)生活暮らし
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「女塚史跡公園」付近への配達~
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